かわせみ側溝から

志は低空飛行 

信号を待つ人々を尊敬してます



 日本人が車が来てないにもかかわらず赤信号で立ち止まっている姿というのは、外国人にはかなり奇妙に見えるものらしい。僕は中国の学校に行ったのでこの感覚は実によく分かる。中国に限らずであろうが、渡れるときに渡らない人間というのは単なる馬鹿に過ぎない。自分が馬鹿でないのなら、信号を守るなんてことはハナから考えたりしないだろう。それよりなにより、死なないと思えば足が前に自然に出る。それは人間が生物である証のような自然な行動に過ぎないのである。
 しかし僕も他の日本人がいるときは、たまに渡れない感覚にはなる。そんなにあわててどこに行く、であるし、おいおい危ないおじさんかよ、というのも自己防衛として思われたくない。まあ、思われてもいいけど、とにかく一応は周辺を見渡し、ふてくされたようにしてさらっと渡る。僕が渡るとだいたい後の人は付いてくる場合が多い。これはたいがい都市部で、皆かかわりが少ないので抵抗が薄いのだろう。一度は「まあ、そうだよね」というつぶやきが聞こえて、一緒に渡ってきた女性がいた。そういう自己の確認があって、抵抗を取り払って、僕とともに行動に移せたという事なんだろう。
 しかし、やはりそれでもやっぱり立ち止まったままの時がある。それは他ならぬ一緒に待っている人に小学生くらいから以下までの子供がいるときだ。対面に子供が立ち止まっているときには、アッと思って思わず引き返したこともある。これは何というかちょっと無視できない。ダメな大人をまねされるというのが耐えられないのかもしれない。要するに僕らが跳ねられるのは(この状況はそんなことは無いと思い込んでいるが)自己責任だけれど、子供は社会的に守らねばならない、という事なんだろう。そうして僕らがささやかに守るとしたら、行動で示すしかないではないか。何とも偽善的な考え方だとは思うものの、子供が待っている理由を知っているからこそ、これは束縛されてしかるべきだろう。まあ、本当は自己責任も理解して欲しいところだが、信号待ちではちょっとそういうことも出来そうにない。世の中で一番強いのは子供である。これにはとても抗えない。
 そうではあるが、僕以外の日本人が信号待ちをしているのは特に悪いことでは無い。誇るべきとまでは思わないが、外国人から不思議がられるのは特に愉快だ。彼らは日本人をロボットか何かのように感じるとか、やはり少し馬鹿かもしれないとか、そういう疑いを持つのだろうけれど、分からないならそれでいいと思う。自分で考える力があるんなら、しばらく考えたりするだろう。なかには本当にロボットみたいだったり多少賢くない人もいるのかもしれないけれど、当然ながらまったくの誤解だ。そうしてやっぱり日本人と日本社会を考えるに違いない。何も考えないから信号を守っていない自分がいるわけだから、その考えない意味という事を少しは考えるだろう。別に外国人の為に赤信号を待っているわけではないが、これが日本人の特徴として無くなってしまうのは、やはり残念に思える。繰り返すが僕以外の日本人は、今後も頑張って信号を守ってください。