かわせみ側溝から

志は低空飛行 

気の合う仲間である必要はない



 映画の中の台詞で読書の話になって「どんな本が好き」という質問に、その女の人は漫画を数冊答えていた。前ふりで本はけっこう読む方だと答えていて、さらに違和感を覚えた。質問した方も、僕もその本が好きだと言っていて、共感の話として挙げたということも言えるのかもしれないが、そこまで考えるなら「漫画なら」と断るべきなのではなかったか。
 しかしながら漫画本が本ではないということは厳密には言えない。絵本だって本だし、写真集だって本だろう。さらに分野を分ける必要のある場合があって、どんな本を読むのかという質問に対する答え方はあんがい難しい。さらに何が好きかといわれても、相手の読書の感覚にもよる場合がある。
 何を読むという質問に、暗黙で小説という場合が多いかもしれないと考えるのだが、しかし小説を読んでいるというのは、極めてマイナーな趣味人だけだろうという気もする。実際に本を読んでいる人口の中でも、さらに少数派であるだろう。
 僕も実際に小説はめったに読まないという感覚があるが、一般の人の話を聞いていて、さらに読まないという人が多いことに驚くこともある。本を読んでいる人なんて世の中にどれくらいいるものだろうと、なんとなく不安になってしまう。もちろん読まなくても何の問題もないのだけど、本を読むような人種というのはますます特殊化している傾向にあるのではないだろうか。繰り返すがそれで何も問題は無いが…。
 本を読むのは悪癖の一種だが、これも多くは理解されない。本をあまり読まない人に限って、本を読むことがいいことだと思っているフシがある。本好きの多くは自分の悪癖を認めるだろうが、その多くという言葉に当てはまらない少数がそう思っているに過ぎないということなのだろう。
 そういう後ろめたさの中に好きな本があるという告白だという感覚が、やはり理解されづらくなっているという感じだ。安易に好きな本が言えないという理由は、実はそこにあるはずなのである。
 気恥ずかしい告白なのだから、受け流してほしい。だけどそれでも共感があると嬉しいな、といういきさつがあって、打ち解けるくらいがちょうどいい気がする。
 もちろん、漫画本にも大切なものはある。そういう感覚を否定しないためにも、とりあえず少し分類する必要があるな、という話に過ぎないわけだが…。