
前にもちょっとだけ書いたことがあるけど、速読に興味のある人がいるようなので、簡単にやり方を説明します。
速読法(術)といわれるものにもいろいろあるが、怪しいものも多いのが実際だ。僕も騙されていろいろ試した。しかしながら実用的には、速読めいたものはある程度はやれるようになる実感はある。後は自分に合うと思ったものを実際に試してみて、しばらくできるかどうかを実感できるか、ということだろう。
日本語というのは漢字を使っているという特徴がある。とにかく漢字だけを読んでいってだいたいを掴む方法がある。これはほんとに簡単で、確かにそれなりに意味を掴める。確か司馬遼太郎とか立花隆なんかも、これに似た方法で読んでいるようだ。多くの読書家といわれる人々には、この方法の自分なりの工夫を加えたやり方である可能性が高い。
二行ずつ読んでいく方法もある。最初はうまくいかないが、それなりに慣れる。つまり誰でも出来るようになると思う。
斜めに目を走らせたり、全体をぱっと見てイメージを掴むような方法もある。これも実際には漢字を拾ったりしているんだろうと思うが、なんとなく分かるようになる人がいるらしい。本にもよると思うが、うまくいくような時と、そうでない時がある。正直言って、ちょっと怪しいと思わないではない。
新書や実用書系のものだと、目次がしっかりしている。まずこれを頭に入れて、ぱらぱらページをめくる方法がある。いわゆる決め読みというヤツで、だいたいの内容を予想して読めるので、そういうふうに読んでも意味が理解できるという寸法だ。
文字は音読をしなくても、頭の中で音を出して読んでいる人がほとんどだと思われる。これを訓練して音で読まない方法もある。とにかくすばやく文字を追って、音にしないで読む訓練をする。これも才能がある人ならそれなりに出来る人がいるようだ。なんとなくなら出来るように誰でもなる可能性はある。イメージの感じで内容が理解きるような感覚かもしれない。
逆に、最初はあえてじっくりゆっくり読むという方法もある。文体には癖があるのが普通だから、そういうものを飲み込めたら、だんだん読むスピードを上げていく。これも慣れの問題で、好きな作家ならこれで他の本もさらさら読めるという場合もある。
速読法らしい、という感じならそのようなものが普通だが、まだ他にも方法ならある。実地にそれらのハウツー本を買って読んで実践するのが一番だろうとは思う。相性があるので、自分にあったやり方をやればいいのだ。
さらに速読とはいえないのだけど、普通に飛ばし読みというのがある。本の好きな(と自分が感じたら)ところだけは読んで、後はどんどんすっ飛ばしてしまう。ひどい人は前書きとあとがきだけ読むというのがいる。それでだいたいが理解できる本も実際にあって、つまり内容の無いのはそんな程度でも十分だろう。
速読なんてそんな方法だと知ったら、皆さんのほとんどは、なんだかかえって不満を覚えるのではなかろうか。実は僕だってそうだった。でもたぶん本当のことである。そういうものを組み合わせて必要に応じて読む勇気、というのが真相だと思う。だから誰でも出来るわけで、特殊な人しか出来ない技能であれば、そもそも使えないではないか。
さらに、まず、背景はすっ飛ばすけど、実は誰でも速読は普段からやっているはずだ。たとえば新聞は、そのような速読法で飛ばし読みしているはずだ。雑誌でも見出しだけ読んで内容を大雑把に理解している人もいるだろう。新聞や雑誌で出来て本で出来ないということの方が不合理で、結局は応用するだけのことだろう。
これらの方法でガンガン本を読むというのは楽しいが、しかし意味の無い本も多いのが実際だ。数学や哲学などの本は、行間を読むというか、結局ゆっくり考えながら読まなければ、意味が不明だということにもなる。
文学作品であっても、たとえば詩なんかを速読しても意味は無かろう。いや、それで楽しければそれでいいけど…。
さらにあらすじを読んで面白いか問題もある。内容はそのような展開だと理解できて、読書が楽しいか問題である。結局それでいいのだという本を選んで、早く読めばいい。
また、映画なんかも早送りして場面をざっと見て内容が理解できるものもある。繰り返すが、それでいいならそれでいいが、本だってそれでは駄目なものがあるということだ。本を読まないくせに最初から速読したいという人には、結局本を読もうという興味さえ失わせてしまうことにもなりかねないと思う。面白いと思うような本は、他人から止められても、ついつい後を読んでしまう。そういう本は、結局早く読めるはずだ。つまらない本なんて放り出して、自分の好きな本だけ選んだらいいのである。
さらに本というのは最初から最後まで読まなければいけないなんて、決められた事でもないのに信じ込んではいけない。そういう自分で決めた常識というか、自己規制というか、そういう心の障害を取り払うことができると、本というものとのつきあいが根本的に変わるだろうと思う。これは僕も長らく勝手にそう思っていたので反省もあるのだが、本というのは自分との付き合いのような側面もある。どのように読んでもいいという自分自身の自由な発想を手に入れることが出来たら、それだけでも速読法をマスターしたことと等しいと思われる。人間というのは厄介なもので、そのような自由を忘れているからこそ、結果的に速読が出来ないということを理解できればいいのである。
では、楽しい読書を。ちゃお!