事務所で一般の話題といったら、僕はどうにもついていけない落ちこぼれになる。本当に盛り上がっているときは、僕無しのときに爆発するものと思われる。それなりに気を使ってもらっているのかもしれない。ほとんど同じようにテレビを見て、新聞を読んでいるはずなのに、社会的話題というものはかなり偏りを見せる。人の興味というものは、かように多様なのであろう。
そういう中でも高校野球の話題というのは、特に今年の場合は都合がいいらしい。前にも書いたが、僕の出身母校が活躍しており、改めて驚かれたりする。まあ、お互いにらしくない関係なのかもしれない。僕は母校を応援してないと素直に言えなくなってしまって困るが、快進撃に悪い気がしないわけではない。ぜひ長崎県として、という空気をあえて乱す必要などないだろう。来年あたり清峰などが連続して活躍するとサッカーだけでなく野球王国として盛り上がるかもしれない。その布石としてはがんばってもらうのもいいとは思う。
しかし考えてみると母校とはいってもあんまりなじみは無い訳だし、関係ないのであれば応援してもいいような気がしないではない。他の運動部の青年達よ、裏切って申し訳ない。しかし、こうやって勝ち進んで露出が多くなると、別の意味で愛着がわいてくるものである。
ピッチャーの妙に軟弱な動きと笑顔の感じも、離島出身の少年らしくて好感が持てる。応援団のうなぎのキャラクターも、今となって活き活きしてきた。時の勢いというものは確かに掴んでいるようにも思う。実力は今のところ広陵が凄そうだが、ここまで来ると、絶対にどこということではないのであろう。
もうひとつしきりに話題になっていた「欽ちゃん」なのであるが、確かにテレビで少し見たことは見たが、そんなに話題になる話題なのだろうか。ずいぶん昔は欽ちゃんのどこが面白いのかということはしきりに議論になっていたが、そのなんだかよくわからないが、よくテレビのレギュラーはたくさんあった時代だった。いつまでたっても素人くさく、わざとらしい。しかし、憎めない人というのはそうなのかもしれない。
こちらの春のイベントでは、佐世保から島原までの105キロだか歩くものがあるが、あれも確か24時間の時間制限があるのではなかったろうか。完走するのはかなりむつかしいらしい。欽ちゃんは走ってそれよりか少しばかり短い距離(正確には知らないという人が多いのにも呆れる)を行かなければならなかったらしい。長距離は走るより歩くほうがそれは長い目で見て逆に早い話であるように思う。事実上ほとんど歩いていたらしいから、最初から歩くべきだったのだろう。
それにしてもテレビのイベントで個人にこういう課題を課すのは、一種のいじめであるようにも思う。その立場になった人のことを思うと、可哀相である。それが欽ちゃんであるからだとか、そういうことではなく、今年はおいらが挑戦したい、という人でなければならない気がする。話題性でキャラクターを要請するテレビ局のあり方が、僕には不快である。また、そうであっても話題になっている大衆というものも、僕には不可解なのかもしれない。結局どうなったか、ということも、話を聞いていて良く分からなかった。まあ、僕は散歩の歩数を伸ばすことにしよう。
夜は仮入会セミナー。いろいろ話が聞けて、それなりに面白いとは思った。これは仮入会の人以外のほうが楽しめるものかもしれない。変な話だけれど、これを受けて理解するという方向にならないほうがいいとも思う。こういうことがあったという印象が残ればいいのであろう。何でも早く分かることはろくでもない。仮入会の人が良く分からないという感想を持つことで、セミナーの目的は達成されたのである。まあ、そのロジックはまた機会があれば語ることにしよう。
引き続いて懇親会で、A水委員長の映画の話を聞く。けっこうオタッキーの素養を見て、嬉しく思いましたよ。田舎のビデオ屋には今は置いていない作品もおさえているようだ。読書もそうだが、いかにランダムに一定数をこなすか、それがなにより重要だと思う。映画を見る目を養うには、2千本あたりが最低ラインだと思うが、そんなにむつかしい話ではない。映画というのは時間がくれば勝手に終わるので、回していれば、身をまかして済む話だ。そういう時間を自分なりにすごせば、素養も身につくのである。面白かった、面白くなかったと、いつまでも単純な感想ばかりで映画を観ているのでもいっこうにかまわないけれど、面白さというものは、実はそこでとまっているものではない。気に入れば人の話題より、自分の興味を大切にする。映画は作品だから、監督も当たり前だが重要だ。面白くないものをたくさん観る機会があれば、人生も豊かになるだろう。本当に面白い作品は、多くの駄作を観た上でのほうが深く楽しめるものなのである。
映画のことを考えていたら、最後の挨拶のことを忘れていた。いつもそうだといえばそうだけれど、ボロボロの体験というものもまた、いい経験であった。すまないとは思うけれど、まあ、こういう日もあるさ。喪中なのでてくてく夜空を眺めながら歩いて帰ったのであった。