
失われたものを抱えて生きる
芸能界での実力者である叔父を頼ってハリウッドにやって来た若者がいる。華々しい世界で、何か自分の仕事ができないかと考えたのだ。叔父は超絶忙しいハリウッドのやり手て、ともかく雑用係をやらされる。せっかくハリウッドに来たので、事務所の秘書にまちを案内させてもらうのだが、この若い秘書の魅力にすっかりいかれてしまう。しかしながらこの美しい秘書には彼氏がいるのだが、仕事の関係で出張などが多いらしく、その存在が不確かだ。週末には映画を観て、あまりお洒落ではないバーのようなところで酒を飲むような関係になり、事実上付き合うようになる。しかしながら秘書の彼氏というのが実は……。
後半はニューヨークのユダヤ社会の風刺めいた展開にもなるが、確かに実にユダヤ的で、ウディ・アレンの映画である。人々はよく語り、俳優は科白を覚えるのが大変だっただろう。男の兄はギャングであり、平気で人を殺して、まちの掃除役をやっている。堅気の仕事も一応やっていて、成功もしている。家族で集まると、様々な風刺のきいた会話を展開させる。ユダヤ人としての皮肉のきいた社会風刺になっていて、そういうところが笑いどころなのかもしれない。面白いが、あんまり笑えないのもニューヨーカーである。
大きな挫折を抱えているものの、一方で都合のいいしあわせも手にする。何も不満は無いし、兄以外の人間も、誰も悪く無い。しかし大きな悲しみが、運命のいたずらで二人の間に、抗いきれない喪失感を抱えさせている。華やかでしあわせの絶頂の中にあるはずなのに、二人だけはその悲しみのまま生きていかざるを得ないのだ。そのコントラストが実に見事で、うーんと唸らせられる余韻を残している。スタイリッシュでかっこいいが、どこか間抜けで浮遊感がある。そうでありながらとっ散らかったものでは無く、ジャズ的な即興性もありながら、実にまとまりがいい。こういう映画を撮るくせに監督は変態なので、もう新しい映画は見ることが叶いそうにない。まさに映画のごとく、その喪失感をかみしめながら観なくてはならなかった。もう元には戻れない。共通するのは、そのような気分だったのかもしれない。