かわせみ側溝から

志は低空飛行 

ネットに渦巻く怒りの生まれ方

 
 ネットだと、社会的な人をひどく叩く人が多くなっているように感じる。運転中に口の悪くなる人がいてびっくりすることがあるが、車の外の相手にどうせ聞こえないのでひどくなるのかとも思っていたが、しかしネットだと相手が見る可能性もある。いわゆる声とは別の問題かもしれないが、どうしてそんなに狂暴になれるのかな、と考えたりする。
 ネットでは無いのだが、そもそも著名人に対しての批評者の言動が良くなかった、という歴史的なものはある。小説や映画など、批評者は多くの場合それらを作る才能は無いが、批判は辛辣だったりする。そうしていいのかどうかは別にして、そうしてしまう傾向が人にはあるのだ。同時に雑誌や新聞の記者の、政治家やある種の問題に対する筆の取り方も、やはりそれなりにひどいものがある。そういう書き方の方がセンセーショナルで、ウケがいいという信条のようなものがあるのかもしれない。
 さて、ネットの場合のそれは、それらとは違って完全に素人なのだが、批評者の立場という意味では、同じようなものかもしれない。ネット批評が現れた初期には、馬鹿もものをいう(※今よりもっとひどい馬鹿も発言の機会ができてしまうし、それを目の当たりにしてしまうといううんざり感の事)、ということは言われはしていた。批評家の自分らに対しての批評のようなものかもしれないが、実際そういう感じも無いでは無いまま、その延長線上に現在はありそうだ。そうして集団で辛辣になっていく。さらに匿名で、卑怯さも混ざる。原因のすべてを語りつくしているわけではないが、多くはそういう事ではあろう。
 しかし問題は、そういう怒りが生まれることにもあるかもしれない。著名な人が、何か失敗をしていることに対しても、怒りをぶつけている。失敗は同情的な要素も無い訳では無いのだが、そういう要素は、すっ飛ばされてしまっている。忘れているというか、そこには目が行ってさえいない。何故そこまで腹が立つのか、僕が気になるのはそういう事で、そういう怒りの要素が、僕にはかなり不明のものばかりだ。
 例えば不倫なんかの問題があるが、それらは当事者たちには深刻なものかもしれないが、遠くにいて関係のない僕らには、まったく何の被害も及ばないものだ。褒められたものでは無いのかもしれないのだが、実はなかなかやるじゃんという人だっていてもおかしくない。そういう人は発言しないが、しかし単に埋もれているのだろうか。しかしその攻撃はすさまじく、多くの場合芸能人なら退場してしまう。慰謝料などの問題があるのであれば、退場することでその支払いも難しくなるだろう。むしろ注目を集めているのだから、それらに関連したコンテンツは視聴価値が上がっているかもしれない。せっかくだからそういう資金で、賠償など賄われるべきでは無いのか。合理的にはそう思うが、そう思わない人の方が多いのかもしれない。
 いや、怒りの問題であったが、自分が好感を持っている俳優などが、そのような私生活であることが許せない、ということなのだろう。推し、と言われる対象だったら、残念に思うこともあるかもしれないが、例えそうであっても、もし例えば自分が既婚者で、推しの人と関係を持ったのなら、不倫である。そういう相手を批判できるのか。いや、される方か……。ちょっとあり得ない設定だけれど、そういう想像力がある方が面白いのではないか。いや、想像すらできないか……。
 まあ、それでもいいのである。怒っている人を見て、変に思っている自分はいるが、現実には、やはりそういうネット上の怒りは、普通に織り込まれた世の中になってしまっている。そのことについては、おそらく今後もそんなに変わりそうになさそうだ。だとしたら、そのようなことに引っかかること自体が、いわゆる時間の無駄かもしれない。今風に言えばタイパが悪いのか。まあ、悪いからこそこういう生活をしているわけで、暇つぶしにはなっているわけだ。さらにそれでいいのか、ということが分からないだけのことなのである。