かわせみ側溝から

志は低空飛行 

捨てるより育てるにはどうするか



 高齢者がペットを捨てているという。要するに年を取って、これ以上ペットを飼えない状況になり、捨ててしまうのだ。もちろん身寄りが無かったり、引き取り手を見つけることができなかったり、ということもあろうし、病気でそのまま入院してしまったり、施設に入らなければならなくなったりして、捨てざるを得なかった人もいるようだ。伴侶が亡くなるなどして、一人で世話をできなくなった(育てるのに不安を抱えるなど)とか、とにかく猫などが飼ううちに増えすぎてどうにもならなくなる人だっている(こういうのが一番困りものだ)。可愛いし、最初はちゃんと飼ってはいたのだろうが、小動物とはいえ、犬や猫はあんがい寿命が長い。近年家の中で飼われることが当たり前になって、犬は寿命が延びたともいわれているし、猫は代謝の効率がいいのか、そもそも二十年くらい生きる個体は稀ではない。自分の寿命を勘案してみると、最後まで飼いきれるのか高齢者? という立場の問題になってくるのである。人間の寿命が延びたと言っても、必ずしも健康寿命とは違う場合もあるだろうし……。
 そういうペットを引き取って育てているNPO団体や、支援しているグループというのはあるにはある。しかしながらたとえそうでも、すべてのペットを引き取れる余裕などはないという。それほど捨てられるペットの数は多すぎる訳で、さらに仕方なく処分される命もたくさんあることだろう。いまさら野生で生きていけるようなものでもなさそうだし、人間社会の制約もあって、野生で生きる道など最初から閉ざされているに違いない。人間は、野生と共存できる生き物では無いのである。
 また、ペット共に入居できる高齢者施設もあるそうで、それはそれで新しい試みかもしれない。もっとも、ペットを嫌う他の利用者がいないとも限らないので、そうした線引きなどの問題はありそうだった。
 いずれにしても飼っていたペットを捨てる行為そのものは、身勝手のように見える。それほどペットというのは、飼っている人の所有物とみなされているからだろう。しかし同時に生き物で、その生死を飼い主の都合のみでどうこうするのは倫理に反する感じがする。そういう前提がありながら、人間にも寿命があり、健康や家族の在り方にも、それぞれ事情がある。そういうことをすべてクリアした人でなければ飼う資格がないということを、いったい誰がジャッジできるというのだろうか。
 悲しい現実を前にして、やはりこれは一定の金を掛けて取り組むべき問題ということにもなるかもしれない。税金という形で何とかして欲しいというのもあるが、しかし行政として、ペットと関係ない市民からまでも負担を求めることは、それなりにむつかしい面があるかもしれない。そうなるとペットを売買するときにお金が発生する訳で、そういう時に、価格とともに負担金を集めるということにもなるかもしれない。または、ペットを捨てる行為の前に、預り金を徴収するシステムを作るなどもあるかもしれない。企業協賛も必要だろうし、篤志家にアピールする啓蒙活動もいるだろう。そういうことを可能にしながら、受け皿を育てることを考えるべきだろう。保護犬(猫)運動もあるし、それらをどうするのかということを地道に考えないことには、捨ててしまう高齢者問題では、ものごとは解決しないだろう。もうそういう事をやっている人はそれなりにいるとは思われるものの、現状はそれ以上の数のペットの命がある、ということなのだろう。