
「花束みたいな恋をした」という映画を観ると、たいていの人はやはり今村夏子の「ピクニック」が気になって読んでしまうようだ。かくいう僕もそうなのだが……。
それというのも映画の主人公たちが科白の中でこの作品についてふれるからで、映画の中で面接を受けて、あの面接官には「ピクニック」は分からない(程のデリカシーしかない、とおそらく言っている)と言うのだ。そういう「ピクニック」には、ちゃんとした人間にはわかる仕掛けがしてあるんだろうか? ということが気になって手に取ってしまう訳だ。いったい自分はどうなんだろう?
読んでみて感想を言うと、実は最初何にもピンとこなかった。これってこれで終わりなの? まさに僕は面接官の側だった。何を言いたいのか訳が分からない。たぶんいじめのような話なのだが、怪しい七瀬さんという女性は、おそらく自分より少し若い仲間と友達になりたくて、見栄を張ってつきあう男性の話などをして取り繕っているのだが、それを周りの人間はそれはそれとしてわかりながら、気遣ってそれらの嘘を補完しようとしているように見える。まあ、それに付き合えない人間もいないではないが、結局七瀬さんは自分のついている嘘に自滅してしまう。
まあ、それだけの話だが、結局分からなかったのでネットの解説をつい読んでしまった。これは恐ろしい話で、女性の集団いじめを描いているものらしい。助けているのではなく、皆で馬鹿にして楽しんでいただけだったということか。
でもまあそれでもなーんだ、という気分にもならない。僕は読み間違ったが、皆で本当のことにしてしまおうと頑張ってたら、本当に奇跡が起きても良かったのにな。確かに携帯が流されてくるという感じになると、やめた方がいいには決まっていたけれど。
ちなみにその後に続く超短編の「チズさん」もほとんどわからなかった。語りの人は、いったい実在の人物だったのだろうか? 家族の人たちって極道なんだろうか?
僕は今村夏子は「むらさきのスカートの女」も「あひる」も、たいへんに楽しく読んだクチである。両作品とも短くてすぐ読めるし、たいへんに面白い。表題作の「こちらあみ子」は何度読んでも途中で寝てしまう。再度チャレンジしてみます。