
牛を屠る/佐川光晴著(双葉文庫)
北大卒業後に出版社に勤めるが、喧嘩して退職。職安で紹介された職場として屠殺場に行くことにする。それも本人が希望して、事務職ではなく現場へ。当然というかそのような大卒出の人間が就職するには現場にも違和感があったのだろう、お前のような奴の来るところじゃねえ、と威嚇される。そのような環境下、どうして著者は、ここに10年と半年勤めるようになるのか。屠殺場に対する社会的な偏見というのは、現代であっても、いや、むしろ現代人の方がもっている場合が多いかもしれない。両親や妻には、なんとなく説明は不要なのかもしれないが、妻の両親などのような人たちには、それなりに説明が必要になる場合があるかもしれない。そこに理由のようなものが無ければ、何か人が納得できないようなものが、そこには歴然としてある、という感じかもしれない。
ところが基本的に、内容としては痛快なほど、職人讃歌だ。最初の戸惑いを徐々に克服し、じわじわというか坦々というか、肉体的に大変である以上に、その刃物を使った豚や牛の解体の技術を紹介していく。そうして年数を重ねていくうちに、着実に力をつけていき、熟練という領域まで達していくような、確かな手ごたえと喜びの日々を掴むようになるのだ。結局退職することになるのは、その仕事の内容というより、著者を取り巻く社会的な背景が理由ということだ。もちろんそれは働く理由を語るために書いたものが小説となり、それ一本で暮らしていこうということになることも理由にはなるが、屠殺場で働くこと自体が嫌になったからでは無い。むしろ、選択の上で捨てる方に選ばざるを得ない苦悩の後に、転職したようなものだ。どちらも技能職のようなもので、最初は二足のわらじで行こうと決意をしていたものが、決断をしたからこそ一つでなければならないことも悟ることになったという感じかもしれない。
ひとが職人として生きていくことは、誇りということもあるのだけれど、その誇りとするために習得していく、人間の技能への成長の喜びがあるためかもしれない。それは生活のために金を稼いでいるということも大変に重要だとは思われるが、いやむしろ最低限のその条件が満たされているのであれば、それ以上にその技能への憧憬が上位に占めるようになっていくようだ。それはおそらく屠殺だけのことでは無いが、しかし屠殺であっても他の技能職と変わらない喜びがあるということだ。そういう当たり前のことが、実に当たり前に語られていく。読んでいてこれが快感なのは、実際に著者が心からその技能を掴んでいく実感を、実に実直に書いているからだと思う。余分なものはそぎ落として、美化することも控え、素直にそのナイフ使いの醍醐味を語っている。そうしてそれらをやっている他の人への尊敬もストレートだ。自分が出来ない時も、出来るようになったのちも、そうしてやっとわかりえるという境地に至ることも、先人への尊敬と自分が一体化するような高揚感と幸福感が、本当に見事に書き記されている。働くということが素晴らしいのは、そのような人間の歴史との一体感を得られるまでの、極みへの道そのものなのだ。
まだ働いたことのない学生はもちろん、今働きながらなんとなく上手くいっていないような人にも、この本は大変な勇気を与えることだろう。また、妙な興味のある人が読んだとしても、それなりに裏切られた上に、人間の素直な生き方の励みになるに違いない。ぐいぐい引き込まれて読んで、実にさっぱりした気分になって、そうしてまた今日も頑張っていこうと思う。そんな本は滅多にあるものではない。今の屠殺場がどうなっているかは知らないが、このような作家が図らずも出会ってしまった幸運のおかげで、読者もずいぶん得をしたものである。もちろん読まなければ得は出来ないのだけれど…。