かわせみ側溝から

志は低空飛行 

終わりから始まるこれから



 世界の終り、いわゆるセカオワのことは僕だって知っている。ピエロがいるバンドってくらいのことだけれど。今更だけど、それなりの露出があるから、あんまりテレビを見ないような生活を送っていても、目にする機会がそれなりにあったということなんだろうと思う。さらに言うと、やはり宣伝もあろうかと思うものの、それなりにブームというか、キワモノというか、マスコミなどに乗りやすい対象でもあると思う。ちょっと危ういが、病気の関係もあるので慎重に叩けない感じもある。しかし特に若い世代には確かな共感があるらしいこともあるし、それが理解できないおとなの図式というのも、おもしろいと思われるのかもしれない。それは僕のような立場にある人間もそうで、ものすごく率直に言うと、彼らの背景というか情報というのはなんだかかえってウザい感じもするわけなんだが、それが恐らく若い人への共感の根幹で、その後に音楽があるということ。ビジュアル的になんとなく嘘っぽいけれど、それがかえって夢だとか希望だとか、そうしてファンタジーとして機能しているということになるんだろう。基本的に僕のような世代が理解できないからこそ若い人が特権的に共感できる土壌が生まれるということもいえて、それがとても健全に機能していると考えていいだろう。
 考えてみると、若いころに聞く音楽というのは、その後の一生を通じて、ある程度基盤となって身に付く傾向にあると思う。そうしてやはり背景として、それは僕らのようにロックを聞くということは、反抗であるとかカウンターカルチャーであるとか、新しさであるとかいうことがものすごく重要だった。セカオワの音楽は、それなりに素直だと思うのだが、しかしそれに付随するエピソードには、なんとなく不健全というか、危うさだとか、不安定な感じがする。それで本当にいいのかというのは大人ならなんとなく嗅ぎ取る匂いなのではないか。しかしそれを、それなりに屈折しながらも、ドラマを持ちながら上昇するような躍動感があることも確かなのだ。その場所にいながらも、それでいいという同意がそこには感じられて、閉じているが、確かな共感につながっているのではなかろうか。若いころの苦しみへの解毒にもなっていて、それが熱狂を作っていくという図式なのではあるまいか。
 結局わからないからそのように無理に解釈しているだけのことなのかもしれないが、お互いに理解されないくらい彼らは健全で、僕らは不安なだけなのだろう。こういうのは単純な努力ということではなかろうけれど、ともかく頑張ってくださいという感じなんだろうか。