
福島「仮設」建設作業員募集に批判相次ぐ 韓国
地元復興を考えると、福島で作業員募集をしてくれた方がいいとも思う。
それにしても日本は危険な国になったものである。
僕が中国に留学中に普賢岳の噴火が起こった。おなじ長崎県だが、僕自身の地理的感覚から日本に帰ったとしてもまったく自分自身の家族への危険への不安は無かった(火山灰が降ってくるらしいという話は友人から漏れ聞いていたが)。
ところが中国国内の友人たちの反応はまったく違った。多くの人からお悔やみや心配からの同情の言葉をいただいたものだ。留学生のお世話をしている学校の事務担当の先生は、本当に真剣に、いざとなったら自分の養子してもいいとまで言われた。もう当分は日本には帰れないだろうし、日本は駄目になってしまったのだから、というような話は再三聞かされたものだ。僕はそのたびに、中国は大きすぎるから分からないかもしれないが、日本は人間のスケールから考えると大変に広く大きな国土をもつ国で、(確かに災害は大変な状況だけれど)過剰な心配はいらないのだと説得しなければならなかった。しかしながら僕はすっかり強がりを言う変な日本人ということになってしまったようだ。
確かに災害というのは大変な事態である。しかしながら僕はその時に、その後に起こる風評被害の方がダメージが大きいことを思い知った。分からない人たちにいくら説明しても無理なのである。中には本当にこのまま日本は沈没してしまうというようなことを信じている人までいるようだった。それは単に日本から届く映像を見て素直に反応しているにすぎないのである。実際に大変なことが起こっているのは事実なのだが、なんだか僕は本当に複雑な気持ちを味わったものだ。僕は当時テレビをもっていなかったので個人的には案外早く心の平安を取り戻せたが、テレビをもっている人は長い間不安な気持ちは消えなかったようだ。
今回の放射能の問題は別だというような意見もあるだろう。それはそうなのかもしれない。しかし、そうではないかもしれない。ただはっきりしているのは、少なくともあと何十年もの間、実際の被害とは別の被害の方が大きいままであるだろう。
スリーマイルやチェルノブイリは、現在観光場所として人を集めるまでになったが、それまでにも長い時間が必要だった。フクシマもおそらくはそのような興味の場所になることは確実だが、その前の事態の収束の目途さえ不透明だ。
心配ではないといえばウソになるが、ある程度自分自身で情報を集めて、自分自身で物事を判断して決めていかなければ、不安そのものは終息しない。いま本当に考えるべきことはそういうことである。